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2025.11.06

【なぜ忘年会は12月?】『年忘れ』の本当の意味と、居酒屋で始まった宴会文化を徹底解説!

こんにちは!鳥メロ編集部です!

街のイルミネーションがキラキラ輝きはじめると、
「そろそろ忘年会シーズンだな〜」なんて思う方も多いのではないでしょうか?

一年の締めくくりに、仲間や同僚とお酒を交わしながら「今年もおつかれさま!」と語り合う時間。
それが、私たちの冬の風物詩「忘年会」です。

でも、ふと考えてみると──
そもそも「忘年会」っていつから始まったんでしょう?なぜ12月に集中して行われるの?
そしてどうして“居酒屋”が定番の開催場所になったの?

今回は、そんな「忘年会」にまつわる素朴なギモンを文化や歴史の観点からわかりやすく解説します。
読み終わる頃には、きっと今年の忘年会がちょっと特別に感じられるはずです。

【この記事からわかること】

  • 忘年会のルーツは室町時代?「年忘れ」の本当の意味
  • 「忘年会」という言葉を広めたのは夏目漱石だった?
  • なぜ忘年会は「12月」に集中するの?御用納めとの関係
  • 忘年会が“居酒屋”で開かれるようになった理由
  • そして最後に──一年の締めくくりは「三代目 鳥メロ」で!

忘年会のルーツは室町時代?「年忘れ」の本当の意味とは

年を「忘れる」ための宴

鳥メロ挿入画像1.

忘年会の起源は、室町時代にまでさかのぼるという説があります。
当時の武士や僧侶たちは年の終わりに集まり、「一年の憂いを忘れ、新しい年を清らかに迎える」ために詩を詠んだり酒を酌み交わしたりしました。
これが“年忘れ”と呼ばれ、現代の忘年会の原型とされています。

当時の目的は「飲んで騒ぐ」ことではなく、心の整理をして前向きな気持ちで新年を迎えるための場
この「年を忘れる」という考え方には、“嫌なことを引きずらず新しい年に備える”という日本人らしい前向きさが息づいています。

忘年会という言葉が定着した背景

「忘年会」という言葉が広まったのは江戸から明治時代にかけて。
庶民の間で宴会文化が盛んになり、年末の取引を締めくくる「納会」などと混ざりながら、年の締めくくりに開く“年忘れの会”が「忘年会」と呼ばれるようになりました。

つまり忘年会は、古くから続く“年をリセットする文化”が、時代を経て“職場や仲間とのお疲れさま会”に進化したものなんです。

出典:国立国会図書館レファレンス協同データベース「『忘年会』という言葉の初出について」
読売新聞「室町時代の“年忘れ”が原型?忘年会のはじまり」(2020年12月22日)

「忘年会」という言葉を広めたのは夏目漱石だった?

明治時代の文人たちが広めた“忘年会文化”

現在のように「忘年会」という言葉が使われるようになったのは、明治時代以降とされています。
「忘年会」という語が文学作品に登場した初期の例として、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』(1905年)や、その当時の新聞記事などが挙げられています。

明治期には、文人や学者たちが「年忘れの宴」「忘年会」と称して集まり、酒を酌み交わしながら詩や俳句を詠む文化が見られました。こうした知識人の社交場が、新聞や雑誌で紹介されたことで、次第に一般にも知られるようになったと考えられています。

出典:吾輩は猫である

漱石と仲間たちが行った“文人忘年会”とは

漱石をはじめとする明治の文学者や記者仲間の間では、年末に「年忘れの会」を開く慣習がありました。
当時の新聞記事や随筆には「忘年会」という表現が登場しており、こうした文化人の集まりが親しい仲間同士が語り合い、作品や時事を論じ合う交流の場としての役割を果たしていたといわれています。

その後、大正・昭和期にかけて企業や職場にもこの風習が広がり、現在の「職場の忘年会」へと形を変えていきました。

なぜ忘年会は「12月」に集中する?「御用納め」との関係

忘年会=年の区切りの宴としての文化

「忘年会って、なんで12月ばかりなの?」と思ったことはありませんか?
実は、忘年会は“年のけじめ”をつけるための宴として、日本に根づいた文化なんです。

昔から日本では、1年の終わりに「一年の苦労を忘れ、新しい年を迎える準備をする」という意味で、12月にさまざまな行事が行われてきました。その流れの中で「年を忘れる宴=忘年会」も、自然と12月の恒例行事として定着していったのです。

また、ボーナス支給や仕事納めといった“節目”のタイミングが多いのも12月。
「今年もお疲れさま!」とねぎらう気持ちを込めて、仲間と乾杯するのにぴったりな時期なんですね。

「年を忘れる宴=忘年会」

鳥メロ挿入画像2

12月下旬になると耳にする「御用納め(ごようおさめ)」という言葉。
これは、もともと官公庁がその年の仕事を納める日を指すもので、現在では多くの企業でも12月28日前後に「仕事納め」を迎える習慣があります。

つまり、「御用納め」は“その年の公務を終える日”。
そして「仕事納め」は“民間企業がその年の業務を終える日”を指します。

この「仕事納め」のあとに開かれるのが、多くの職場でおなじみの“忘年会”というわけです。

年末の仕事を締めくくり、仲間との時間を楽しみながら新年に向けて気持ちをリセットする。
そんな“年の区切り”としての意味が、12月の忘年会には込められているのです。

忘年会が「居酒屋」で開かれるようになった歴史

サラリーマン文化とともに広がった居酒屋忘年会

今でこそ「忘年会=居酒屋で乾杯!」が定番ですが、最初からそうだったわけではありません。
江戸時代の庶民は、家や茶屋などで「年忘れの宴」を開いていました。しかし、明治以降に会社員という職業が一般化し、仕事仲間同士での“会社単位の宴会”が増えたことで、気軽に利用できる居酒屋が忘年会の主流になっていったのです。

昭和時代に入ると、高度経済成長とともに外食文化が一気に普及。サラリーマンたちが1年の労をねぎらい、同僚や上司と杯を交わす「職場忘年会」は年末の風物詩になりました。

安くて美味しい料理が楽しめる居酒屋は、まさに“みんなで集まる場”としてぴったりだったのです。

現代の居酒屋忘年会はコミュニケーションの場に

近年では、形式ばった宴会よりも「仲間とリラックスして話せる時間」を重視する傾向が強まっています。
そのため、気軽でカジュアルな雰囲気の居酒屋が再び人気。
お酒を楽しむだけでなく、チームの一体感を深める大切な時間として“居酒屋忘年会”は今も受け継がれています。

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身」付きという豪華な特典も。
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『早得』冬コース

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Q&A:忘年会に関するよくある質問

Q1. 忘年会はいつから始まったの?
A. 室町時代に「年忘れの宴」として始まり、1年の苦労を忘れて仲間と酒を酌み交わす風習が生まれました。明治時代には「忘年会」という言葉が一般的になり、職場や仲間内で一年を締めくくる恒例行事として定着しました。

Q2. 忘年会が12月に集中するのはなぜ?
A. 年末は仕事納めや行事が重なり、一年の区切りとして集まりやすい時期だからです。12月は「御用納め」などの節目と重なり、自然と一年の労をねぎらうタイミングとして忘年会が行われるようになりました。

Q3. 忘年会が居酒屋で開かれるようになった理由は?
A. 昭和以降、サラリーマン文化の広がりとともに、手軽に大人数で楽しめる場所として居酒屋が人気になりました。座敷やコース料理、飲み放題などが整い、気軽に会社仲間と盛り上がれる場として定着していったのです。

まとめ:12月の忘年会で、一年の終わりをゆたかに彩る

忘年会の始まりは、室町時代の「年忘れの宴」。
一年の苦労をねぎらい、新しい年を気持ちよく迎えるための文化として続いてきました。

現在では、「御用納め」と重なる12月に職場や友人同士で集まる年末の恒例行事として定着しています。
一年を頑張った自分や仲間に、温かい料理と笑顔で労いの時間を。

炭火焼き鳥やこだわりのお酒がそろう「三代目鳥メロ」で、心に残る忘年会を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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